ガラパゴスな国が価値を生む時代

先日、フィリピンへ行ってきた。

 

フィリピン人はみんな英語を話せる。なぜなら、幼い頃から英語に触れてきたから。彼らは中学からは授業を母国語ではなく英語で受けるし、英語の歌や映画が好きで自国の歌や映画は聞かない、見ない。フィリピンへ行く前はそれがとても羨ましかった。日本も英語で授業をすれば良いのに、日本語の本をなくせば良いのにとさえ少し思っていた。しかし、現地に行ってみて、その考えが変わった。

彼らはコンテンツを消費するだけなのだ。自分でコンテンツを作り出すことができない。なぜなら、他国の文化を受け入れるばかりで、自国の文化に目を向けていないから。その方法は欧米文化にキャッチアップするという点では優れている。しかし、キャッチアップした後はどうなるのか?自国の文化を発信することで世界に貢献することができるのか?

 

ところで、海外では日本といえば「自動車とアニメ・漫画の国」だ。ドラゴンボールスラムダンク・ナルト・ワンピースあたりはフィリピン人はみんな知っている。日本のアニメ・漫画はなぜここまで強いのか?日本のアニメ・漫画が世界で有名なことは知っていても、「なぜ有名なのか?」までは意外と考えたことがない人が多いと思う。個人の見解だが、そこには「長年の文化の積み重ねがある」と思う。

 

www.youtube.com

 

この動画は猪子さんのTED「日本文化と空間デザイン~超主観空間~」だ。「なぜ、日本がマリオを生み出すことができたか?」を語っている。彼曰く、日本の古来から培われた独特の物の見方(平面的な空間認識)が無意識のうちに生かされているらしい。これは感性だから言葉(論理)にするのが難しく、容易に真似することができない。確かに、インベーダーゲームも日本が生み出して、世界中でヒットしている。

 

これはゲームだけではなく、アニメ・漫画にも言えるのではないか?一人一人の作者は意識してなくとも、水墨画に見られるモノクロでの絵画表現、絵巻物に見られる時系列を意識したコマ割り、など日本古来からの伝統が今の日本の漫画・アニメの根底には流れているのではないか?これは一朝一夕に模倣できるものではない。

 

夏目漱石は日本の文明開化を「外発的で皮相上滑りの文明開化」と称して憂いた。しかし、それでも100年以上の時間をかけて、時に戦争の痛みも伴いながら少しずつ進んできた。新興国の文明開化のスピードに比べたらゆっくりしている。その余裕が単なる文化輸入ではなく、先人の解釈に基づく、西欧文化と自国文化の融合の試みを生んだ。岡倉天心の「茶の本」などは「いかに東洋文化が優れていて、西欧文化が無粋なものではあるか」をコンプレックス丸出しの英語で書いている。尊王攘夷のような自国の文化を守ろうとする動きが同時に起こり、一方的な文化吸収ではなく、文化衝突をしながら文明開化してきたことが今の日本の独自性に繋がっている。

例えば、岩波文庫などで世界の古典を母国語で読めること自体が世界的に見るとメチャクチャ稀有なことだ。それが日本人の英語のできなさ、グローバルの視野の狭さに繋がっている一方で、それが日本人の世界における独自性にも繋がっている。日本のガラパゴスグローバル化できない弱みは同時に日本の強みを支えているものでもある。

 

これから世界がますますグローバル化していく中で、欧米の価値観は世界中にどんどん浸透していくだろう。しかし、全ての国が欧米の価値観に染まるとそこで文化の発展は止まる。文化は異質な文明と出会い、衝突し、理解する過程の中で進化していくものだからだ。

ここで重要なのは異質なだけでは文化が違いすぎて相手に理解されないため、相手の文化に合った伝え方をしなければいけないということだ。そう考えると、日本はポテンシャルを生かしきれていないように感じる。日本食はマジで美味しいし、茶道、華道、相撲や歌舞伎など多くの伝統芸能が引き継がれているし、少し手を加えるだけで、世界中を熱狂させられるものがいっぱいあると思う。

 

「日本のため」を考えるよりも「世界のために日本はどう役に立てるのか?」を考えることの方が、回り巡って「最も日本のため」になると思う。そんなことをフィリピンで考えた。