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【本の紹介】「育児は仕事の役に立つ」(浜屋祐子・中原淳)

最近の読書でとても面白かった「育児は仕事の役に立つ」(浜屋祐子・中原淳)を紹介したいと思います。

 

著者の中原淳さんは東京大学の准教授で人材開発の研究をされている方で、浜屋祐子さんはそのゼミ生(社会人)です。この本は従来は「キャリアのブランク期間」として捉えられがちな育児について、「『育児』は『仕事』にポジティブな影響を及ぼす」と経営学の観点から語っている点が画期的で、現在育児をされている方はもちろんのこと、そのパートナーやその職場の上司や人事の方々、将来子育てを考えている若い夫婦やカップルの方々(特に男性)に読んでいただきたい一冊です。

 

よくある思い込みとして「仕事と家庭はトレードオフ」がありますが、優れたアイデアを出せるビジネスマンは同時に優れた消費者でもあるように、本来は相互に影響し合っている(シナジーを生む)ものですが、言葉が分かれているせいで全く別の活動として捉えられて、時間の奪い合い(トレードオフ)だと思われているように思います。しかし、そもそも「人生は仕事のためにある」のではなく、「人生のために仕事があるわけ」であって、「より幸せに生きる」という観点から全ての活動を繋げられるようになると、成熟社会でも希望を失わずに楽しく生きられると個人的には思います。

 

画期的だと思った部分、興味深かった部分をいくつか紹介したいと思います。

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・一人でやるワンオペ育児ではなく、夫婦を中心としたチームで取り組む育児は、それを通じて、リーダーシップが育ち、それは仕事にも生かすことができる。

・共働き家庭は、1980年には3割しかいなかったが、1997年に専業主婦家庭を逆転し、今や7割を超える「平成日本の一般的な家庭像」である。歴史的に見ても、専業主婦は高度経済成長期というある特殊な期間のみ成り立った役割である。

・しかし、日本社会には「育児は妻の仕事で、夫は良くてサポート」という思い込みが未だ根強い。

資生堂ショックは「女性に優しい会社がママに厳しい制度を導入した」と捉えられているが、もう1つ上のステージの話で、「育児は妻と夫の両方の課題であるのに、妻を多く採用している会社だけ割を食うのはおかしい」という社会への抗議である。実際に、資生堂ショックをきっかけに夫婦間の話し合いが行われて、夫の働き方も見直された。

・「育児=子供のお世話」ではなく、「育児=夫婦がコミュニケーションやすり合わせをしながら、両親や保育サービスなど外部協力者を巻き込んで、共同で成し遂げるプロジェクト」である。★個人的には、この育児の定義の拡大が非常に素晴らしいと思う。

 ・特に、育児は「予測ができない」「仕事の重なり度が高い」ので、難易度の高い仕事であり、その経験は仕事に生かしやすい。加えて、育児中の社員がいることで、周りの同僚も仕事の棚卸しや厳密な時間管理をするようになり、チームの生産性が高まる。

・女性は「管理職になりたくない」のではなく「日本企業の(現場の仕事をしながら、部下の面倒も見て、残業続きで、家庭を顧みない)管理職になりたくない」だけ。質問を「職場でマネジメントの役割を担いたいですか?」に変えると、育児経験のある女性の方が高い意欲を示す。育児での成功体験がマネジメントの楽しさに目覚めるきっかけになる。★これもアンケートのバイアスを見抜いた素晴らしい慧眼だと思う。

・親になることで、自分自身も成長する。もう1つの人生を追体験したり、絶対的な他者を受け入れることで辛抱強くなったり、子供のために頑張らなければと思ったり、社外の関わりを通じて視野が広がったり。

・育児をする妻を苦しめているのは「育児を他に任せてはいけない」という思い込み。他の人を頼ることで、育児を無理せずに続けられるようになるのはもちろん、マネジメント能力やリーダーシップの向上など、自分自身の成長にも繋がる。

・夫に育児を任せる時の3箇条。①「あの人にできるとは思えない」という思い込みの排除。②最初は下手でイライラしても、1、2ヶ月は学習過程を温かく見守る。③無理なく継続するために男女ともに働き方を見直す。

・「長時間労働の是正」が日本企業が取り組むべき一丁目一番地。しかも「長時間労働の是正」は通過点に過ぎず、実現すべきは「誰もが各事情に合わせてフレキシブルに働ける社会」である。

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ガラパゴスな国が価値を生む時代

先日、フィリピンへ行ってきた。

 

フィリピン人はみんな英語を話せる。なぜなら、幼い頃から英語に触れてきたから。彼らは中学からは授業を母国語ではなく英語で受けるし、英語の歌や映画が好きで自国の歌や映画は聞かない、見ない。フィリピンへ行く前はそれがとても羨ましかった。日本も英語で授業をすれば良いのに、日本語の本をなくせば良いのにとさえ少し思っていた。しかし、現地に行ってみて、その考えが変わった。

彼らはコンテンツを消費するだけなのだ。自分でコンテンツを作り出すことができない。なぜなら、他国の文化を受け入れるばかりで、自国の文化に目を向けていないから。その方法は欧米文化にキャッチアップするという点では優れている。しかし、キャッチアップした後はどうなるのか?自国の文化を発信することで世界に貢献することができるのか?

 

ところで、海外では日本といえば「自動車とアニメ・漫画の国」だ。ドラゴンボールスラムダンク・ナルト・ワンピースあたりはフィリピン人はみんな知っている。日本のアニメ・漫画はなぜここまで強いのか?日本のアニメ・漫画が世界で有名なことは知っていても、「なぜ有名なのか?」までは意外と考えたことがない人が多いと思う。個人の見解だが、そこには「長年の文化の積み重ねがある」と思う。

 

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この動画は猪子さんのTED「日本文化と空間デザイン~超主観空間~」だ。「なぜ、日本がマリオを生み出すことができたか?」を語っている。彼曰く、日本の古来から培われた独特の物の見方(平面的な空間認識)が無意識のうちに生かされているらしい。これは感性だから言葉(論理)にするのが難しく、容易に真似することができない。確かに、インベーダーゲームも日本が生み出して、世界中でヒットしている。

 

これはゲームだけではなく、アニメ・漫画にも言えるのではないか?一人一人の作者は意識してなくとも、水墨画に見られるモノクロでの絵画表現、絵巻物に見られる時系列を意識したコマ割り、など日本古来からの伝統が今の日本の漫画・アニメの根底には流れているのではないか?これは一朝一夕に模倣できるものではない。

 

夏目漱石は日本の文明開化を「外発的で皮相上滑りの文明開化」と称して憂いた。しかし、それでも100年以上の時間をかけて、時に戦争の痛みも伴いながら少しずつ進んできた。新興国の文明開化のスピードに比べたらゆっくりしている。その余裕が単なる文化輸入ではなく、先人の解釈に基づく、西欧文化と自国文化の融合の試みを生んだ。岡倉天心の「茶の本」などは「いかに東洋文化が優れていて、西欧文化が無粋なものではあるか」をコンプレックス丸出しの英語で書いている。尊王攘夷のような自国の文化を守ろうとする動きが同時に起こり、一方的な文化吸収ではなく、文化衝突をしながら文明開化してきたことが今の日本の独自性に繋がっている。

例えば、岩波文庫などで世界の古典を母国語で読めること自体が世界的に見るとメチャクチャ稀有なことだ。それが日本人の英語のできなさ、グローバルの視野の狭さに繋がっている一方で、それが日本人の世界における独自性にも繋がっている。日本のガラパゴスグローバル化できない弱みは同時に日本の強みを支えているものでもある。

 

これから世界がますますグローバル化していく中で、欧米の価値観は世界中にどんどん浸透していくだろう。しかし、全ての国が欧米の価値観に染まるとそこで文化の発展は止まる。文化は異質な文明と出会い、衝突し、理解する過程の中で進化していくものだからだ。

ここで重要なのは異質なだけでは文化が違いすぎて相手に理解されないため、相手の文化に合った伝え方をしなければいけないということだ。そう考えると、日本はポテンシャルを生かしきれていないように感じる。日本食はマジで美味しいし、茶道、華道、相撲や歌舞伎など多くの伝統芸能が引き継がれているし、少し手を加えるだけで、世界中を熱狂させられるものがいっぱいあると思う。

 

「日本のため」を考えるよりも「世界のために日本はどう役に立てるのか?」を考えることの方が、回り巡って「最も日本のため」になると思う。そんなことをフィリピンで考えた。